ドンクについて

ドンクは今年で創業119周年。
日本のパンの歴史とともに歩み続ける老舗ベーカリーです。

  • 私たちのこだわり
  • グループブランドのご紹介
  • クラブミュげシールプレゼント

私たちのこだわり

ドンクの確かなおいしさは職人魂から

File.No3 西川正見
1970年京都府生まれ。高校卒業後、専門学校にてフランス料理を学んだ後、1989年に株式会社ドンクに入社。愛知県にある春日井工場での勤務の後、地元・京都に戻り、製パンや店長職に従事。2007年2月21~24日、モバックショウ(国際製パン製菓関連産業展)にて開催された、クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー(ベーカリー・ワールドカップ)日本代表最終選考会にて、バゲットとパンスペシオ部門の日本代表に決定。2008年4月、パリで開催される同大会に出場した。

時に微笑んだと思ったら、すぐに裏切る―。
思い通りにいかないことの方が多いですよ。

西川は高校在学当時から料理人を志し、レストランなどでアルバイトを経験。卒業後は京都にある調理師専門学校でフレンチを学び始めます。ただ、自身が偏食家で、貝類やフォアグラなど、自分が食べられない材料を多く使うフレンチへ進む道はしばらくして断念。その後、同じ専門学校内のお菓子の学科に編入しますが、やはりしっくりくることはなかったといいます。

そんな時に出会ったのがドンクのパンでした。元々、パンは好きだったという西川。偶然にも当時通学していた専門学校でドンクの会社説明会が行われます。実はパティシエとしてホテルに就職が決まっていたのですが、それを断ってドンクへの入社を決めます。入社時のエピソードで印象に残っていると語るのは、先輩からもらったクリームパンとアップルデニッシュの味。「これを食べたときのおいしさは今でも覚えていますね。デニッシュなんてその時生まれてはじめて食べましたから」。そんなドンクのパンとの出会いが、西川のその後の運命を決定づけたといえるかもしれません。

入社当初、西川は愛知県にある春日井工場に配属となります。鉄板掃除、パンの仕分けなどの雑用にはじまり、徐々に成形の補助などをしていくようになりました。1年近く同じような仕事を続け、その後、地元の京都に戻り、北白川工場の菓子パン部門で1年間、同工場のフランスパン部門で2年間、パン作りに従事。その後、百貨店勤務へと移ります。それから15年ほど、京都・滋賀をメインに店舗勤務が続いています。

「クープ・デュ・モンド」については、ほとんど意識することはなかったと語る西川。日本代表が優勝を収めた2002年開催の大会に応援団として同行。この大会では、同じドンクのアルチザンである菊谷が、日本代表の一員として見事優勝を収めます。ただ、そのシーンを間近に見ても、「正直なところ、自分には別世界の話」と感じたという西川。ただ、その後、この菊谷と接する機会を重ねるたびに、「なんで出場しないの?」と尋ねられ、また、西川本人も年齢的にもチャンスは今しかないと感じ、出場を決意したといいます。

日本代表への道のりは実に遠いものです。はじめに乗り越えないといけない難関は、ドンク社内で行われる選考会になります。西川も「この社内選考会が一番ハードでした」と語る通り、ドンク社内で14人のアルチザンが名乗りをあげ、6種類のパンを作り上げていく選考会はとても難易度が高いものでした。ドンクの各エリアから代表者が集まるため、職人たちの技術レベルが高いのはもちろん、選考用に作るパンの種類が多いのも大変さの理由のひとつです。バゲット、バタール、クロワッサンなどのほか、部門別に自分で創作するパンも考えなければいけません。そんな大変な社内選考会への出場を西川が決めたのは、実に大会から20日前ぐらいのこと。すでに他の出場者が出揃っていたところに、遅れて参加を表明した形となりました。普通の人なら焦っても仕方がないスケジュールでしたが、「普段通りにやることが一番大切だと思っていましたから」と、平常心を崩すことなくこの選考会に挑み、見事この社内選考会を通過します。

「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジェリー」は「バゲットとパンスペシオ」「ヴィエノワズリー」「飾りパン」の3部門に分かれており、西川は「バゲットとパンスペシオ」部門にエントリー。この部門で1次選考は、54名の参加者から25名まで、また、2次選考では6名の候補者に絞り込まれました。1次・2次選考を突破するために、仕事を終えた後、3日ほど徹夜してパンを制作したという西川。そして、その後の最終選考では、会社から1ヵ月ほどの準備期間を与えられ、今までのデザインにない星や星座をイメージしたオリジナリティあふれるパンを制作します。このパンのアイデアを考えるのと同時に、最終選考の前には、慣れない会場でのパン作りに向けた対策もいろいろと考えたそうです。「会場が8℃ぐらいだと聞いていましたので、練習中は夜中に窓を開けてあえて寒い状況を作っていました。ただ、実際に会場に行くと逆に暑いぐらいで。16℃ぐらいありましたかね」。そんな予想外の状況に加え、審査会場には数多くのギャラリーが詰め掛けていましたが、西川自身は別段緊張することもなかったといいます。同じ審査を受ける人には西川の知り合いもいたわけですが、みんながライバルという気持ちよりも、お互い頑張ろうという気分だったと西川。8時間という長時間の日本代表最終選考会を終え、代表者に選ばれたときには、熱いものがこみ上げてくる場面も。「名前が呼ばれたときは、あまり何も感じなかったですけど、うちの嫁さんと目が合ったときにはぐっと来てしまいました」

パン作りの難しさを聞いてみると、「パンは悪女だ」と話す西川。「時に微笑んだと思ったら、すぐに裏切る―。思い通りにいかないことの方が多いですよ。予選のときもそうでしたが、粉の日付が違うだけで、全然違ったものになりますから」。